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─14─ 静かな対決

Author: 内藤晴人
last update Huling Na-update: 2025-07-21 20:30:00

 皇国の実権を一手に握り、思い通りにならぬことは何一つないと周囲から目されていた宰相マリス侯は、このところ少し迷っていた。

 いや、迷うと言うよりは悩んでいた。

 彼を不穏な思いにさせていたのは、他ならぬルウツ皇帝のメアリである。

 病弱ではあるものの極めて優秀で、物事を判断するには常に理性と論理が先に立つ少女、それが彼が初めてメアリに拝謁した時に抱いた印象だった。

 考えるよりも先に行動を起こし、理論よりも感情が先に立つきらいのある妹姫のミレダよりも、理知的なメアリの方が一国を支える皇帝にふさわしい。

 そう判断したからこそ、マリス侯はメアリに忠誠を誓うことを決め、結果メアリは皇帝に即位し、自身は現在の地位を手にしたのだ。

 だが、宰相の予想に反してメアリはその内面に恐るべき秘密を孕んだ人間だったのである。

 打てば響くような聡明さは、その恐ろしい本性を覆い隠す仮面に過ぎなかった。

 その仮面の下には、幼い子どもが持つ独特の残酷さが巧妙に隠されていたのだ。

 成長と共にそれは収まるどころか増大し、今では細い一本の糸で理性を保っているようにも見受けられた。

 悪いことに、女帝の心に淀(よど)むどす黒い闇は、このところ更にその深さを増しているように宰相には思えた。

 女帝の中で沸き上がる負の感情は、近いうち彼女自身を飲み込むやもしれん。

 そんなことになれば、この国の先行きは危うい。

 おぼろげながらにそう感じたのは、先の御前議会の時だった。

 絶対的な司令官不在のため、まともに動けるかどうかも怪しいにもかかわらず、自らの私怨から蒼の隊の出兵をごり押しし、あまつさえ総大将に妹姫を指名するなどと……。

 その時の様子を思い出して、宰相は深々とため息をつく。

 言うまでもなく、皇帝には今のところ伴侶はおらず、当然その血を受け継ぐ者はいない。

 先帝崩御の後、皇位を脅かすであろう人物に血の粛清が下った今、皇家に連なる血を持つ人物は、妹姫ミレダと、暗愚と噂される皇帝姉妹の従兄フリッツ公イディオットのみであるにも関わらず、だ。しかも、フリッツ公は臣籍であるため、継承権を有していない。

 皇帝に万
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